日本人が一度は憧れる、巫女さんの衣装。
今回は、そのロマン満ち溢れる巫女装束についてあれこれ調べてみました。

巫女装束のはじまり

はっきりとしたことはわかっていませんが、巫女装束の存在は平安時代後期頃から確認できているそうです。
当時の宮中行事や民間風俗を描いた「年中行事絵巻」に登場する巫女たちが貴族女性と同じような格好で赤・紫・黄などの袴を身につけていることから、どうやらこの時代では衣装の色や模様はまだ統一されていなかったようです。

そこから赤い袴がたびたび登場するようになったのは、室町時代初期のこと。
紅や紅梅の袴姿で屋敷へ参じる巫女の様子が「御伽草子」の中で描かれていることなどから、この頃から赤い袴が主流になり始めたのではないかと言われています。 しかし、この時代も白い小袖ではなく十二単を着用していたようですから現代の定番とは少し違ったようです。

では、定番の紅白スタイルになったのはいつ頃からなのでしょうか?

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camera-icon『月百姿 吉野山夜半月 伊賀局』月岡芳年
伊賀局(いがのつぼね)。鎌倉時代前期の白拍子であり、後鳥羽上皇の愛妾。吉野御所で供養を望む藤原基任の亡霊と出会い、物怖じせずに対応し無事に成仏させたという逸話が残っている。

巫女さんの紅白スタイルは明治時代

巫女さんといったら「白い小袖に赤い袴」ですが、実はその歴史は新しく、なんと明治時代なのだそうです。

明治維新後、政府によって神社祭祀制度が見直され全国の神社の儀礼・形式が大幅に整えられました。 いわゆる国家神道の時代です。
多くの小さな神社が廃止の対象にされたり、地域独自の祭祀や儀式を廃止・統一したりとそれはそれは大変なことが行われたようですが、この時に現在の私たちが知っているような神社のしくみに統制されました。その中で衣装も見直され、おなじみの紅白の巫女装束が確立していった、ということなのだそうです。

赤い袴なのはなぜ?

平安後期にはカラフルだった巫女さんの袴。どうして赤色に定着していったのでしょうか。調べてみたところによると、

  • 赤は太陽の女神(天照大神)の象徴だったから
  • 万葉の時代から日本人に好まれた色だから
  • 赤は紫に次ぐ位の高い高貴な色だったから
  • 本来は年齢によって色分けされていて、未婚の女性は赤だったから
  • 本来は下着だったので汚れが目立たないようにするため

など、さまざまな説があるようです。 どれが正解なのか今となってはわかりませんが、衣装というのは高貴な方から長い時間をかけて庶民へと普及する傾向があるようなので、

1.日本の総氏神、天照大神をお祀りする神社の総本社は伊勢神宮
2.伊勢神宮にお仕えする巫女のトップともいえる斎宮が赤い袴をお召になっていた
3.次第に神にお使えする巫女にも相応しい色であるとされた

という流れで赤い袴が定着していったと考えれば納得できますよね。

巫女装束の各名称

ここで少しだけ巫女装束をご紹介します。

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白衣(はくえ、びゃくえ、しらぎぬ)
白い小袖。もともとは袿(うちき)の下に着用する下着であったが平安末期から表着化。 白衣を着用する際は、腰巻(こしまき)と肌襦袢(はだじゅばん)を下に着る。

掛襟(かけえり)
装飾用の伊達襟。白衣と襦袢の間に挟み込んで使う。

緋袴(ひばかま)
赤い袴。緋色、朱色が用いられ、神社によっては緑色や紺色の袴を着用することも。使い勝手の良さから、行燈袴(あんどんはかま)が主流である。

上指糸(うわさしいと)
袴の腰部分に施されている白い装飾。糸というより、ねじられた2本の糸。

千早(ちはや)
神事や巫女舞・神楽を舞う際に着用する衣装。古代の貫頭衣(かんとうい)の名残とも。 紋様は青摺(あおずり)といい、「鶴」「亀」「松」「菊」などが緑色で描かれることが多い。

草履(ぞうり)
一般的に足元は白足袋に赤(白)の鼻緒の草履、または白木の下駄を着用。

)行燈袴(あんどんはかま)
明治時代の教育者、下田歌子氏が女学生用の袴として考案したスカート型の袴。使い勝手の良さから大流行し、次第に巫女業界でも導入されるようになった。現代でもこの形が主流である。しかし、神楽を舞う際はズボン型の襠(まち)有りでないと足裁きに支障が出るため伝統的な袴を採用している神社もある。

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巫女装束の歴史、いかがでしたでしょうか。私たちが普段よく目にする紅白の巫女服は古くからある伝統的なイメージですが、実は比較的新しい歴史だったというのにはちょっと驚きでしたよね。今回は衣装についてでしたが、次は違う視点から巫女さん関連のお話を更新できたらと思います。