天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉が「伴天連(バテレン)追放令」を出してキリスト教の布教を禁じ、宣教師達を国外に追放した。

ただし、この時点で秀吉が禁じたのは布教活動であり「今後、神と仏の教えに妨害を加えなければ日本に来るのは自由である」とする内容も含まれている。追放令はキリスト教そのものについて弾圧したものではない。

伴天連追放令の発令には様々な理由があったのだが、今回はその一つ「奴隷交易への非難」に注目したい。

豊臣秀吉は自国の民である日本人が九州において大規模に奴隷にされていることを大変不快に感じ、1587年7月24日にイエズス会の副管区長のガスパール・コエリョに手紙を書き、ポルトガル人とタイ人とカンボジア人に命じ、日本人を買い付けて奴隷にすることを中止し、インドにまで流れ着いた日本人を連れ戻すよう言い渡した。秀吉はポルトガル人とイエズス会をこの奴隷交易について非難し、結果としてキリスト教への強制改宗が禁止された。

ウィキペディア
https://goo.gl/5sDJEf

上記引用の通り、伴天連追放令には

日本人が奴隷として国外に連れ出されているのを止めさせるため

という理由も含まれているのである。

「自国の民を勝手に外国に売ることは許されない」とし、激怒した天下人・豊臣秀吉。彼のこのような側面を知る機会は少ないが、天下人の天下人たる所以を垣間見る事が出来るエピソードではないだろうか。